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旧赤穂藩浅野家の浪士たち四十七士が吉良邸へ討ち入りをしたのは今からおよそ305年前の元禄15年12月14日のことです。今年も先々週に討ち入りの記念日(?)である12月14日が巡ってきて、東京都内の赤穂浪士ゆかりの場所を中心に各地で赤穂浪士たちを偲ぶ行事が行われたそうです。実際のところ旧暦の12月14日は現在の1月下旬だそうで、そう考えれば討ち入り前日が江戸が雪に見舞われていたのも頷けます。 この赤穂浪士たちの物語は「忠臣蔵」という有名な題名とともに数多くの本、舞台、映画、ドラマに仕立てられ語り継がれてきた時代ドラマの古典中の古典として有名で、今でも多くの人が大まかな筋は知っているほどですが、しかし赤穂浪士たちが文字通り命を賭けて吉良上野介を討ち取らないといけなかった「忠義」とはいったい何だったのか? この重要なポイントはこの物語を理解するために必須な部分であると同時に、武士社会が完全に失われて久しい現代では理解しにくい部分でもあります。私自身もNHKの大河ドラマ「峠の群像」や「元禄繚乱」を何となく見ていた記憶があるのですが、表面上のストーリーには引き込まれたものの、浪士たちをそこまでかき立てたものが何だったのか?今ひとつピンとくるものがありませんでした。 これまでに読んできた時代小説の中でも、藤沢周平の「用心棒日月抄」や宮部みゆきの「震える岩」などはその舞台を元禄時代に設定し、ストーリーの背景に赤穂浪士の吉良邸討ち入りが絡められていました。更に、池波正太郎の「堀部安兵衛」はまさに後の赤穂浪士の中心となる人物の一生を描いた伝記的物語です。これらの時代小説を読んだ後に赤穂浪士をもっと知りたくなって、忠臣蔵を扱った小説を探したことがあるのですが、これまではうまく見つけることができませんでした。 そんな折、今年の11月になって偶然この本が本屋さんで平積みされているのを発見。帯を見てみれば最新刊とあります。その題名もずばり「忠臣蔵」です。森村誠一氏といえば現代物のミステリー、サスペンスもの小説というイメージがありますが、時代小説のしかも古典的題材を扱った小説を書いていることはちょっと意外でした。その辺の経緯はあとがきに書かれています。 ともかく、私は古典芸能の台本として脚色されまくったいわゆる「忠臣蔵」ではなく、史実をベースに赤穂浪士達の真実の姿、実際には何が起こったのか?が知りたいと思っていたのですが、タイトルのイメージに反してこの本はまさにそんな私の希望にかなった内容となっていました。この小説は赤穂浪士に関わる膨大な資料を作者が整理し、時に大胆な推測と小説的フィクションを交えながら"忠臣蔵"をドキュメンタリー調に構成した小説です。文庫本にして上下巻あわせて1400ページに及ぶ長編大作です。 大石内蔵助や堀部安兵衛といった赤穂浪士の中心人物だけでなく、討ち入りに加わった四十七士の面々はもちろん、討ち入りに加わらなかった、加われなかった浪士たち、そして赤穂浪士に立ち向かった吉良家側の家士たち一人一人の事情や背景を丹念に集めた構成となっています。"忠臣蔵"のクライマックスはもちろん吉良邸討ち入りとそれを主導した大石内蔵助の采配にあるわけですが、その前に仕えていた浅野家が断絶し家禄を失った旧浅野家家臣三百有余人それぞれ紆余曲折の人生ドラマの積み重ねこそが、"忠臣蔵"の根底を支える物語の重要なポイントに違いありません。 たとえば、浅野家の中では堀部安兵衛と並ぶ武闘派であり江戸組の中心人物であった高田群兵衛をはじめ、小山田庄左衛門、萱野三平、橋本平左衛門はなぜ討ち入りを前に盟約から脱落し命を落としてしまったのか? 毛利小平太は討ち入り前夜になぜ姿を眩ましたのか? また内蔵助の長男大石主税に次ぐ年少者であると同時に矢頭家の当主であった矢頭右衛門七の健気なまでの奮闘や、愛妻家であった小野寺十内、最愛の妻と子供を後に残した中村勘助、富森助右衛門。彼らが大切な家族や自らの人生を捨てなくてはいけないほどの忠義とは何なのか? 一方で大石内蔵助に反対し盟約に加わらなかった他の浅野家上士たちの背景にはどんな事情があったのか?大石らの一挙の後、彼らはどうなったのか? そういった旧赤穂藩家臣三百有余人一人一人の背景にある物語は、とてもショッキングで心を打ちます。 そしてもう一つこの本が特徴的なのは、赤穂浪士側と同じくらい吉良側の事情にも触れていること。特に上野介らを守る役目を背負っていた吉良家の家臣、そして上杉家から派遣された家臣達。彼らの人生にもそれぞれ深い事情やドラマがあり、赤穂浪士たちと刃を交えることになったわけです。ともすれば赤穂浪士のヒーロー的扱いに対し、徹底的に悪役の汚名を着せられがちな吉良家ですが、冷静に見ればそんな単純な構図の事件ではありません。赤穂浪士側が誰一人命を落とさなかったのに対し、吉良側は不意打ちにあった弱点もあって多くの家臣達が命を落としました。その多くは壮絶な戦いぶりを見せています。そして一時は上野の討ち取りに失敗したかと赤穂側に思わせるほど手強い抵抗を見せた、吉良側の家臣達の命を賭けた抵抗。これもまた"忠義の士"以外の何者でもありません。 この小説では、赤穂浪士たちと同じくらい吉良家家臣達の忠義を称えています。いや、むしろ討ち入りの場面においては邸内の戦いにおいて赤穂浪士たちの狼藉から吉良家を守るという視点において語られているように思えます。 さて、このように"忠臣蔵"は四十七士を中心とする多くの人々の人間ドラマの集合体であると同時に、政治ドラマの側面もあります。そもそも浅野内匠頭と吉良上野介の間にあった確執、松の廊下事件に対する徳川幕府の処分、赤穂浪士や吉良家、そして吉良家の後ろ盾であった上杉家を交えた駆け引き、そして討ち入り事件そのものに対する幕府の決着の付け方。これらは徳川綱吉と柳沢吉保の政治体制の根幹に関わる政治問題に発展しました。その影響は絵島生島事件が発生する六代将軍徳川家宣の時代まで後を引きます。この本では"忠臣蔵"を巡る政治的側面についても深く掘り下げられています。 この政治的側面においても、松の廊下事件にあたっての浅野家に対する酷な処分よりも、討ち入り後の吉良家に対する処分があまりにも酷に過ぎることについて、主に語られているように思えます。吉良側から見た忠臣蔵、というわけではありませんが、これまでのイメージを覆す点が多々あって、その解釈や解説は新鮮に感じました。もちろん、赤穂浪士たちを否定しているわけではありません。否定しているとすれば、やはり当時の綱吉と柳沢吉保の政治体制、そして武士の形式主義そのものといったところでしょうか。その矛盾の犠牲になったのが、赤穂浪士であり吉良家であったわけです。 戦国時代は遙か昔に過ぎ去った徳川幕府体制下の太平の世の中にあって、武士とは単なる形式と様式にだけに捕らわれた矛盾だらけの支配階級に過ぎませんでした。そんな時代に浪人とはいえ武器を持った四十七人もの士が徒党を組み、江戸市中において旗本の屋敷に討ち入って主の命を狙うという事件は、軍事組織としての武士が未だに存在することを世間に見せつけたという点で、幕府の統治体制を根幹から揺るがす大事件であり、全国の大名家や庶民達に与えたインパクトの大きさは想像に難くありません。それが三百年以上の時を経てすり切れるほどこの物語が語り継がれてきた原動力に違いありません。 その一方で、あまりにも時代が変わりすぎ、武士という存在はもちろん当時の太平の世の中の世相を知るすべがない現代に生きる私たちにとっては"忠臣蔵"の底にある精神が理解しづらい理由でもあると思います。この本からはその辺の元禄時代の社会の空気と、底に生きる人々の息吹が感じられ、赤穂浪士、吉良家家臣達の汗と涙と血の臭いが生々しく感じられるすばらしい小説です。 おすすめ度:★★★★★
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